プロフィール

 

 

中学生時代まで

幼稚園のときにスーパーファミコンを買ってもらった

幼稚園時代にスーパーファミコンを買ってもらい、その影響でドラクエⅤにのめり込む。

5歳にしてRPGという概念に出会い、それに熱中するあまりゲームばかりし、勉強を全然しない子供になる。

 

ゲームばかりしていた小・中学生時代

小・中学生もゲームばかりし、勉強はしない運動もできない見た目も気にしない、女子には人気がないいわゆる陰キャラだった。

しかも漫画でよくあるような「仲間」という存在には憧れているという、大分こじらせた陰キャラである。

漫画でキラキラしている「仲間」には憧れる、しかし現実は「陰キャラ」という理想と現実のギャップに苦しむ小・中学生時代だった。

 

RPGゲームにのめり込む

ドラクエ以外にもファイナルファンタジー、スターオーシャンといったRPGにはどんどんのめり込んでいく。

中学一年生のときに家族共用のPCを買ってもらい、ゲームサイトの掲示板にもハマりだす。

ひどいときには一日12時間以上はプレステでゲームをしていた。

高校入学、中退

陰キャラを卒業したい

中学校までの陰キャラは卒業したいと思い、小・中学校でかけていたメガネを外し高校デビューを密かに狙う。

高校生活は相当期待していた。

バイトしたり仲間と遊びに行ったり彼女を作って青春したり高校生クイズに出たり、、、

しかしそんな淡い期待は見事に崩れ去る。

 

しかしコミュ障が災し、高校中退

ゲームばかりでコミュ障になっていたため、半年間友達ができず。

しかも私立の部活高かつ校則も先生も厳しいため、高校に通うのが苦痛になる。

学園祭の準備期間を経て友達と呼べる存在は何人か出来たが、進級せずに公立高校へ編入することにする。

しかし編入試験で不合格になり、元いた高校へは退学届けを提出していたためどこの高校にも所属できずプーになる。

 

コンプレックスだらけだった17歳

大学へは進学したいと思っていたため、サポート校で大検(現高認)を取得することにする。

試験は9科目で合格点を出さなければならなかったが、高校に一年通っていたため3科目免除された。

サポート校は家から電車で片道一時間の某オシャレタウンにあるため、電車や街で同年代の高校生カップルとかを見るのがつらかった。

この頃は自分に対しての劣等感が凄まじく、誰もいない家の洗面所とかで座りながらよく泣いていた。

 

何とか現役で大学合格

何とか高校二年生の代で大検の科目は全て合格できたため、三年生の代のときは現役受験生と混じって進学塾で勉強していた。

浪人は絶対したくないと考えていたため、行ける範囲で一番有名だと思う某私立大学を一般受験しギリギリ入学することができた。

大学生活、苦労した就活

やりたいことがなかった大学時代

大学に入学したはいいが、ボランティアやサークル活動に精を出すわけでもなく、ギリギリ卒業できる程度に単位を取るだけの学生生活に終始する。

「これがやりたい!」という明確がものがあった訳ではなく、「まだ社会に出たくない」というのが本音だったから。

SNSで女性を引っ掛け続ける、ある意味人生の無駄遣いと言えるような毎日を過ごす。

 

やはりコミュ障が災いし就活も苦戦

いざ就活となった際に、知り合いのアドバイスでm〇xiで「経営者」と名乗る人に片っ端からメッセージを送ってみる。

実際に会って話を聞くうちに広い意味での「IT企業の人」が多いと感じ、元々ゲームやPCをいじることが好きだったのでIT業界に漠然とした興味を持ち始める。

大学三年生の12月という割と早い段階で就職活動を始めたが、持ち前のコミュ障ぶりで面接で落とされ続ける。

基本的に周りは四年生の4~5月頃に内定をもらい始めるが、私自身は全くもらえず。

しかも2008年の夏ごろに「リーマンショック」が起き、一気に就職氷河期に突入する。

 

何とか零細SES企業から内定をもらう

元々のコミュ障も相まって面接もなかなか通らず相当苦労するが、開き直って面接で「自分すごいアピール」をひたすら続けることにする。

「高校一年で辞めたけど何とか大学に現役合格できました!」とかそんなレベルの話だったと思う。

とりあえず何でも結果プラスな方向に言うようにした。

結果、それが認められたようで4年生の12月という大分遅い時期にSESの零細企業から内定をもらう。

わずかだった新卒社会人時代

SESの洗礼を浴びる

IT業界のことを全然わかっていなかったのだが、早速SESの洗礼を浴びる。

客先常駐で別の会社を名乗り、常駐元のみの会議ではお客さまの悪口ばかり。

残業代も出さないので内定承諾書には社名はかけないと言われた意味が少しずつ分かってくる。(最初はあまり意味が分かってなく気にしていなかった)

 

半年で終わった新卒時代

苦労して内定をもらった会社だったが、この会社に未来はないと感じ入社半年で辞める。

特に次は決まっていなかったが、アルバイトでWEBデザイナーをしたりした。

そこでHTMLやバナーを駆使しWEBサイトを作ることで、自分でもサービスを立ち上げて運営したいと思うようになる。

起業

まだm〇xiで人と会うことを続けていたが、そこで出会った自称経営コンサルタントに「こういう化粧品を扱う案件があるんだけど、ネットショップで扱ってみないか?」という話をもらい乗ってみることにする(マルチ商法の商品ではない)。

当面の運転資金がないので新宿の産業会館の中小企業診断士に融資の相談に行ったのだが、「融資を受けるには法人化しなきゃだめだ」と言われ法人化することにする。

結局融資は下りたが、勢いだけで始めた経営がうまくいくはずもなく一年で別の知り合いに譲渡する形で廃業。

この時は25歳だった。

ちなみに先述した自称経営コンサルタントには一円も払うことなく途中で連絡を取ることをやめている。

 

IT業界へ復帰

しかし再度SES

ITとは関係ない業界の知り合いの会社で数年働いていたが、経営者時代にPHPの基本的な書き方は独学で覚えていた。

やはり再度IT・WEBで勝負したいという気持ちが再燃し、転職を決意。

独学で簡単なコードが書けるとはいえ、ほぼ素人なので転職は大変だった。

転職支援会社を利用し二社から内定を頂けたが、業務内容と待遇を天秤にかけSESメインの会社に入社する。

このとき既に28歳だった。

最初はフレームワークが理解できなかった

入社時にほぼ素人と伝えたにも関わらず、研修もなくいきなり客先常駐現場にいくのは疑問だった。

ZENDフレームワークを使用した開発現場に行った時には「ZEND?何それ美味しいの?」くらいの気持ちだった。

MVCモデルの概念、それの使用の方法については中々理解できず、このままでは仕事にならないのでとりあえずZENDについての本を買って土曜日に会社で勉強したりした。

 

SESのフリーランスへ

フリーランスという存在を知る

SESというのはずっと引っかかっていたが、色々な現場に行って様々な人と話せたりするのは楽しかった。

年上の方ばかりの現場に行ったら可愛がってもらえたし、現場で仲良くなった他社の人とプライベートで飲んだり遊びに行ったり合コンしたりもした。

まあネット界隈でよく言われているように、自分にとってのいい現場にいけるかどうかは「完全に運」だったのだが。

開発現場に常駐してる方は全員会社員だと思っていたのだが、「フリーランス」という存在があることを知る。

その時は「へえ~、そういうのもあるんだ」くらいにしか思っていなかった。

 

SES会社の社員だと行きたい現場へ行けない

SESにはお決まりの「面談」というものがあるが、技術者からのアピールだけではなく企業からも事業内容やらどんな開発をするのかを説明してくれたりする。

面談で企業からの話を聞いて「この会社に常駐したいな」と思う企業があったのだが、それを上司に伝えると

「先にA社から面談OKが出たからそっちに行って」

と言われSES企業についてもやもやした気持ちを感じ始める。

 

SESなら会社員よりフリーランスのほうがいい?

次に参画させてもらった現場はとにかく大変で、参画当初は会社を出るのが22時頃になっていた。

その状況を把握しているはずの上司に「17:30に部の会議があるから忙しくても会社戻ってきて」という連絡もくるし泣きそうだった。

部の会議というのは建前で、戻ったら戻ったで行きたくもない飲み会に駆り出され(もちろん自費)、私の苦労を労われることもなく常に高圧的に出る上司にキレそうだった。

SES企業の会社員ということに疑問を感じ、以前の現場で一緒だったフリーランスの方に相談したら

「じゃあフリーランスになっちゃえばいいじゃん!」

という後押し(?)もあり、気持ちは大分そっちに傾く。

よく吟味した結果、今のSES企業の会社員だと下記の理由がありフリーランスに転向することを決めた。

このときは30歳だった。

  • 行きたい開発現場を自分で決められない
  • 現場と自社にそれぞれ異なるフォーマットの出勤表を提出するのが面倒
  • 研修と退職金がない会社だったので会社員でいるメリットがない(社保と厚生年金はあったけど)
  • 自社の上司と絡む必要性が皆無(これが一番大きい)
  • 自分の単価を耳にする機会があったが給料と乖離がありすぎ(これも大きい)
  • 営業が新規開拓をせず直接取引がほぼない会社だったので、案件の9割以上が多重受け

 

フリーランス時代

なくなった不要な人間関係

会計システムに領収書の入力や確定申告したりは面倒だったが、不要な人間関係がなくなったことと手元に残るお金が多くなったことは自分にとって大きかった。

一番嬉しかったのは月単価が一気に10万円以上増えたときだった。

まあ増える以前の単価が安すぎたのだが。

 

上がらない単価

ただある時を境に単価が上がらなくなった。

というのもフリーランスだと即戦力として現場に迎えられるため、実務経験が乏しい分野はあまり任せてもらえないことが多い。

私の場合はインフラとDB周りの実務経験が乏しかったため、その点を考慮されて単価が頭打ちになってしまっていた。

そのこともあり、SESフリーランスの今後を考える一つのきっかけとなる。

 

結婚すると色々考える

結局SESフリーランスはやめることになるのだが、理由の一つとして厚生年金は大きかった。

SES会社員時代に付き合っていた彼女と結婚し保険の話を代理店に聞きに行ったのだが、国民年金と厚生年金では将来もらえる金額が3倍ほど違うことを知った。

年金が将来ちゃんともらえるのかはともかく、嫁との今後を考えると厚生年金の存在は大きかった。

 

SESに将来性を感じない

もう一つ大きな理由は「SESを長く続けるつもりはない」ということだった。

当時50歳のフリーランスエンジニアと仕事をしたことがあるが、結構仕事ができる方だった。

しかし話を聞いてみると「40歳を過ぎたあたりから案件が減り始め、しょうがなく単価を安くしている」とのことだった。

ご存知の方も多いと思うが、SESだと年齢制限を設けている開発現場も多い。

それが頭に残っていたこともあり、いつかは脱SESしなければいけないという気持ちも持っていた。

それ以外にもSESの違法性も認識していたし、いきなりなくなりはしないが今後は縮小していくと思う。

SESの違法性について詳しくはググっていただきたい。

 

脱SESを決意する

会社員時代より稼げていたのでSESフリーランスはしばらく続け、40歳までにやめようという気持ちは漠然と持っていた。

しかし上記の理由から転職活動をすることにした。

開発現場で一緒になった別のエンジニアの方から「脱SESするなら早いほうがいい。40歳近くになって転職活動をしてもマネジメント経験を求められる」というアドバイスをもらったのも大きかった。

SESフリーランスからの転職

前回の転職活動は転職支援会社を利用したが、今回は自分で転職サイトから見つけることにした。

いくつかの転職サイトに登録し経歴を入力したところ、わんさかスカウトメールが届いた。

30歳を過ぎて尚且つ開発経験が浅い私にこれだけのスカウトメールが届くので、20代の新卒でバリバリやってきたエンジニアには更にものすごい数のスカウトメールが届いていると思う。

私が転職活動するにあたり、重視したのは以下の点だった。

  • 自社サービスか受託開発事業を行っており、SES事業を一切行っていない会社(メインじゃなくてもSES事業を行っていたらそこに配属される可能性があるため)
  • 年収が現在の2/3までの会社(フリーランスから会社員になるので年収が減るのはしょうがない、しかし減りすぎても困る)
  • みなし残業代を設けていない(正確な年収が分かりづらく、基本給が低い可能性もあるため)
  • 残業は月20時間以内、尚且つ残業代は全て支給(残業代を支払わない企業は労働基準法違反)

転職活動を開始してから二社目の面接で、何とか全ての条件を満たす企業から内定をもらうことができた。

現在

主に受託開発案件を行っており、新規自社サービスサイトの開発もしている。

もちろんDB周りも含めた設計もするし、お客さまとのやりとりもメールやチャットで毎日行っている。

サーバーはOSのインストールから自分で行うため、インフラの知識も前より身についてきている。

自社開発には自社開発の問題もあったりするし、SESから自社開発になれば全て問題は解決するという訳ではない。

しかし自社で落ち着いて開発ができる現在が一番充実しているように感じている。